2012年7月22日日曜日

巨大な鯛が練り歩き、海をゆく  -豊浜 鯛まつり-


こんにちは。
いきなりですが、どうです?
この迫力満点のデッカイ鯛!

まさしく、めでたい!目出鯛(@_@;)でしょう。
私は昨日、このデッカイ鯛のお祭りに行ってきましたよ。
東海地方は梅雨が明けて猛暑日が続いたあと7月とは思えない涼しい朝をむかえたこの日、待望の「鯛まつり」が行われました。 

毎年、このお祭りが行われるのは、愛知県知多郡南知多町豊浜。
知多半島の先っぽの町です。


伊勢湾に面する南知多町豊浜は、県下ナンバーワンの水揚げを誇る漁師町。
威勢のいい漁師さんたちのお祭りですから、まさに男の祭り!勇壮な祭りとして有名なのですよ。
お祭り女子としては、こりゃなんとしても見逃すワケにはいけません。
なにせ、漁師さんの祭りであるだけに早朝から始まるこの祭り、 早起きしてもモタモタしている時間はありません。

コンビニで買ったパンをかじりながら、すっ飛んで行きましたさぁ(*^^)v
しかし、この日は今にも降り出しそうな暗い雲が広がる曇天。
多少の雨なんかで中止になるようなヤワな祭りではありませんが、ちょっと心配。
それでも、海に近づいて行くほどに明るくなってきましたよ。
やっぱり私は、晴れ女。

さあ、頑張って写真撮るぞ~!
車を駐車し、歩きだして5分で一匹めの巨大鯛に遭遇。
ヒョエ~(@_@;) デッカイです!
お囃子も賑やかです。
さっそくカメラを出してパシャ。
祭り広場となっている港付近は、もう、凄いカメラを持ったオジサンでいっぱいです。

私には関係ないですけど、フォトコンテストなんてのもあるそうですからね、みなさん、チカラ入ってますよ。
私の腕前では、フォトコンテストなんてほど遠い話なのですが、 隣にいるおじさんのカメラを横目でチラッと見て、羨ましくもある今日この頃・・・(-_-;) って、そんなことはどうでもいいですね。


くだらない話はこれくらいにして、そろそろお祭りの紹介をしましょうね。
豊浜「鯛まつり」は“天下の奇祭”といわれています。
“天下の奇祭”と呼ばれる祭りは日本各地にありますが、この祭りが“奇祭”と呼ばれるのには、どうやらその歴史に秘密があるようですよ。
では、その歴史のお話から始めましょう。
「鯛まつり」の始まりは、明治18年頃といわれていますから、いままで紹介してきた“祭り”に比べると、長い歴史と伝統を誇る祭りとはいえませんね。
しかし、この祭りの歴史と変遷は、とても興味深くてユニークなのです。
澤田憲二さん撮影


今から、その変遷のいきさつを書いていきますが、心温まるエピソードの数々が、きっとみなさんの心を和ませてくれますよ。
なんか勿体ぶった言い方をしちゃいましたね。
では、時代を追って話をしていきましょう。
元来、「鯛まつり」は、この地域の鎮守「中洲神社」の祭礼から始まったそうです。
その起源は、はっきりしませんが、江戸中期には藁と杉の葉から作った干支の「だし物」を奉納する習わしがあったようです。


しかし、ある年祭礼で、その「だし物」に火がつき火事になるという事件が起きたのです。
そこで、この地を治めていた殿様によって、「だし物」が禁じられてしまいました。
それからは、「だし物」もない質素な祭礼が幾歳月か続いたのですが、明治の始め頃、それを寂しく思ったある村人がいました。
中洲村の森左衛門さんと森佐兵衛さん兄弟です。
元々船大工さんだった森兄弟は、さびしい祭り盛り上げようと、とても立派な舟型の山車を造ったそうです。

澤田憲二さん撮影
村人は大変喜び、祭りは活気を取り戻しました。
しかし、また大きな悲しみが訪れたのです。
明治12年、この村でコレラが蔓延してし、多くの死者が出ました。
漁に出ても魚を売ることも出来ず、村の財政は危機に陥り、立派な山車さえも売らなくてはいけなくなってしまったのでした。
泣く泣く船山車を手放すことになった中洲村。
しかし、その6年後、またもや寂しくなってしまった祭りに、森佐兵衛さんは立ち上がります。
木材も手に入らない中、得意だった「ハツカネズミ」の小物作りを張りぼての「ハツカネズミ」にすることを思いつきます。


これが「鯛まつり」の始まりといわれています。
えっ?でも、このままだと「鯛まつり」ではなく、 「ハツカネズミ祭り」になっちゃいますよね。
その後、張りぼては「ハツカネズミ」 から「象」になったり、「牛」や「兎」になったり、ほとんど“おもいつき”で造られそうですが、明治30年頃から漁師の町にふさわしく、海の生き物になっていったようです。
昭和の初め頃には、張りぼても次第に巨大になり、「伊勢エビ」や「クジラ」の張りぼても登場したそうですよ。
現在のような「鯛」になったのは、昭和12年頃。やがて、この“おもいつき”は、中洲地域に限らず、隣町にも広がっていき、昭和51年には周囲の町も含めて5匹の鯛が勢ぞろいするようになったそうです。
なかなか面白いエピソードでしょう。
ほろっときたり、愉快だったり、いいんだなぁ~(#^.^#)
こういう歴史を知ると、一層祭りが楽しめますよ。


さて、祭り当日に話を戻しましょう。
大鯛の町内巡行が終わると、大鯛の横では若い衆の酒盛りが始まります。

その賑やかなこと、まあ半端ない数のビール缶があたり一面に転がっています。
さすが漁師さん、大酒のみの揃い踏みですな。
年に一度のお祭りですから、それはそれでいいのですが、ビールを飲めば自然現象が・・・。
あちらこちらで、立〇〇のお兄さんに出会ってしまうのが困り物でしたけどね(-_-;)
そんなこんなで、その場を離れることにした私ですが、おかげで港の近くのお寺を散策したり、観光市場を覗いたり、漁師さんの食堂に入り安くて美味しい昼食もいただきましたよ。



午後になると、号砲が打ち上げられ、いよいよ大鯛の集結が始まります。
ところがこの号砲が雨雲を刺激したのか、ついに雨がポツリポツリと降り出してしまいました。
それでも幸いなことに本降りとはならず暫くすると雨も止み、集合地で待っていると次々と大鯛が入って来ました。
ちょっとばかり千鳥足のお兄さんたちが右や左にうねりながら、まさしく大海を泳ぎ回る巨大な鯛のように近づいてきます。

集合広場の手前で回転する姿は迫力満点。
尾ひれに蹴散らされそうで、怖かったくらいです。


澤田憲二さん撮影
4匹の鯛が広場に収まったところをカメラに収めた私は、満足して帰途につこうと思ったのですが、今ひとつ納得がいきません。
なぜなら、どの鯛も全部赤いのです。
あれ?パンフレットには確か黒い鯛もいたはずなのに・・・。
そこで私は、祭り案内所まで戻り、商工会の方に尋ねることにしました。
「観光パンフレットには黒い鯛もいたように思いますが、どうして全部赤いのですか?」
すると、こう教えて下さいました。
「今晩、このうちの1~2匹を黒く塗るのですよ」
ふ~ん、なるほど。



澤田憲二さん撮影
「どうして、最初から黒い鯛ではいけないのでしょうか?」
すると答えは

「さあ、どうしてなのでしょうね」
・・・・・・(・_・;)
「ありがとうございました」
家に帰り、ネットでいろいろ調べてみましたが、20年前から一晩で真鯛から黒鯛に変身させるようになったとだけしか書かれていませんでした。
未だ、そのナソは解けていませんが、たぶんこれも
“おもいつき”なんじゃないでしょうかね<(`^´)>


澤田憲二さん撮影

ところで、いなかったはずの黒い鯛の写真がなぜあるのか!って気づいていただけました?

私が訪れたのは2日間行われる祭りの初日。
陸地での巡行は観られたものの、海に入っていく大鯛の姿や黒い鯛は2日目の行事なので、写真を撮ることが出来ません。
そこで、特派員の登場です。偶然にも「鯛まつり」の写真を撮りに行く予定をされていたフェイスブックの友人、澤田憲二さんに入水した大鯛のショットをお願いしたのです。
私より遥かに優秀なカメラマンさんなので、いつもより数倍迫力のある写真を掲載することが出来ましたよ。



幾多の遍歴をたどり、戦争という厳しく暗い年月の間も地域の人の努力で守られてきた「鯛まつり」
“おもいつき”の発想がとっても愉快で、豪放磊落な漁師の心意気が感じられるお祭りでしたよ。
みなさまも来年はぜひ、お出かけになりませんか。
美味しい魚も食べられますよ。
今日も読んで下さって、ありがとうございました。
では、今日はこの辺で<(_ _)>




2 件のコメント:

  1. いつもの事ながら楽しませていただきました。

    お友達にお願いしてまで黒い鯛を
    掲載していただく取材姿勢に感心致します。

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    1. Kumaさん、ありがとうございます。
      巨大な鯛が海に入水するのも重要な見どころなので、写真だけでも掲載したいと思いました。
      本来、自分で行くべきなのですが2日目は用事があり出かけらないので、FBのお友達にお願いした次第です。

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