2012年2月19日日曜日

豊年祈願祭 谷汲踊  揖斐川町

谷汲踊


今回訪れたのは岐阜県揖斐川町。
春は桜、秋は紅葉に彩られる西国第三十三番満願霊場、美濃の古刹谷汲山華厳寺です。
きょうは、その華厳寺門前で行われた豊年祈願祭「谷汲踊」をご紹介します。
毎年2月18日に行われる「谷汲踊」は別名「鎌倉踊」とも呼ばれ、その歴史は古く鎌倉時代にさかのぼります。
言い伝えによれば、壇ノ浦の戦いで勝利した源氏の武将達が鎌倉に凱旋する際に踊ったのが始まりと言われています。
その後、江戸時代中期にこの地を襲った大干ばつの際に雨乞いの踊りとして氏神様に奉納され、以降は豊年祈願の踊りとなっていったそうです。
しかし、時代とともに一度は完全に廃れてしまいます。



戦後、復興の気運の高まりとともに谷汲踊保存会が結成され、昭和33年には岐阜県の重要無形民族文化財の第1号に指定されました。
「谷汲踊」は豊年祈願祭である2月18日のほか、春の桜まつり、秋の紅葉まつりにも見ることはできますが、私はあえて冬枯れのこの季節に行われる豊年祈願祭の「谷汲踊」をお薦めします。
なぜなら、山深いこの地において収穫も少なく寒い冬を越し、やがて訪れる春に向かって「豊作の祈り」を捧げるというのがもっとも意味深いものであるのではないかと思うのからです。


桜や紅葉を背景に舞う「谷汲踊」は、さぞや華麗であろうと想像することは出来ます。
保存会の方々の努力で、この地を訪れる多く観光客に「谷汲踊」を見て頂こうという取り組みは素晴らしいものだとも思います。
しかし、本来の意味「豊年祈願」の踊りということに重点をおけば、雪が残るこの時期がもっともふさわしいと私は思うのです。



勝手な私的見解はこれくらいにして、「谷汲踊」についての簡単な解説をします。
「谷汲踊」は背中に大きな「シナイ」を背負い、胸には直径70㎝の大太鼓を抱えて敲きながら舞う勇壮な踊りです。
「シナイ」とは、長さ4m程の竹を細く割り裂いて広げ和紙で飾り付けをして扇型に組んだもので、羽根を広げた鳳凰を模した飾りだそうです。
「シナイ」の重量は40㎏、大太鼓を加えたその重量はかなりのヘビー級であることは間違いありません。



しかし、こう言っては踊り手の方に失礼かもしれませんが、大太鼓を抱えることによってバランスがとれるのかもしれませんね、背中ばかり重ければひっくり返ってしまいそうですもの。
さて、いよいよ「谷汲踊」見物の話にしましょう。
正午近くに到着した私は、まず華厳寺参道に並ぶ茶屋で腹ごしらえ。
「菜飯田楽」をいただいて午後1時からの「谷汲踊」を見学すべく、会場となる参道脇の町営駐車場に向かいました。
会場にはすでに見物の人垣が出来ていて、装束を整えた踊り手もスタンバイの状態。
「おっと、遅れをとってしまったかな」と思いましたが、なんなくカメラポジションも見つけ私もスタンバイOK!
間もなく「谷汲踊」が始まりました。
鉦を打ち拍子をとる2人を先頭に、背中の「シナイ」を大きく揺らしながら登場した踊り手は10人。


まっすぐ続く桜並木の参道


太鼓を打ち鳴らし 踊る姿は勇壮といった言葉がピタリとはまります。
色鮮やかな「シナイ」がしなりるさまは迫力満点。
お囃子や唄も加わり、ほら貝の響きがいっそう勇壮な踊りを盛り立てます。
踊りそのものは約20分程度ですが、見応え充分の迫力ある踊りにすっかり魅了されました。

華厳寺山門


時間をおいて再度、華厳寺山門前で踊りの奉納が行われるとのことなので、今度はカメラ越しではなく、じっくり見学しようと決め急ぎ足で華厳寺への参詣に向かいました。
花の季節にはさぞや華やぐのだろうなぁ などと春に思いを巡らせ桜並木の長い参道を歩けば、ちらつく雪も花吹雪に思えます。


華厳寺本堂


参道の両脇には茶屋や土産物屋、また菊花石の販売店や仏具などの店がずらりと並んでいて参拝客の目を楽しませてくれます。
華厳寺は1,200年の歴史を誇る天台宗の古刹であり、その名のごとき荘厳で美しいお寺です。
境内は広く、大きな本堂のほか幾つかの伽藍を有し、荘厳で格式高い雰囲気をそのまま現在に残しています。
また、「西国三十三所観音霊場」終着地の満願霊場である華厳寺には、無事遍路を終えた人々の杖や装束を収める納所などもあり千羽鶴などもたくさん奉納されていました。


遍路を終えた杖や装束の納所

ひととおりの参詣を済まし、再度の「谷汲踊」見学のため山門に戻ると、またもや大きな人垣が・・・。
先ほどの町営駐車場の会場とは違って、かなりタイトなスペースで踊る訳ですから当然見物人のスペースも超タイト。
いくえにもなっている人垣につけ入る隙間はありませんでしたが、前方の方が屈んでくださったので人々の頭越しになんとか見学することができました。
2回の公演を堪能し、充分に満足した私は帰路につきました。


今回は紹介できませんでしたが、この地、揖斐川町には華厳寺のほかにも「ミイラ寺」として有名な古刹両界山横蔵寺があります。
横蔵寺は、多数の重要文化財を有していることから美濃の正倉院とも呼ばれていますが、なにより「ミイラ」すなわち舎利物(即身仏)のお寺として名をはせています。
私も10代ころ両親とこの寺を訪れ、怖いもの見たさにビクビクしながら舎利堂を覗いたことを思いだします。
まだ即身仏のなんたるかを知らなかった私はエジプトのミイラのような布でグルグル巻きにされたミイラを想像して、おっかなびっくり覗いたのですが・・・。

そのエピソードは、また次の機会にということで。
横蔵寺は紅葉の美しい寺としても有名なので、また紅葉の季節にご紹介できたらと考えております。

2012年2月13日月曜日

中馬のおひなさん 足助町

中馬のおひなさん


ひなまつりの季節になりましたね。
みなさんのお宅では、もう雛人形の飾りつけは済みましたか?
雛人形は、立春のころから遅くても24日までに飾りつけるのが良いとされています。
かく言う私はやっと今日、納戸からおひなさまを出したところなんですけどね。
と言っても、私は長女ではないので立派な雛人形は持っていません。



豪華な御殿雛


子供のころは姉の五段飾りの雛人形が羨ましくて、両親に「私も自分のおひなさまが欲しい」と駄々をこねたものです。
あんまりうるさいので困り果てた両親が買ってくれたのが下の写真の「だるま雛」です。
その時は、嬉しかったというより正直がっかりしました。
やっぱり、段飾りのおひなさまが欲しかったのです。
せっかく買ってもらったのに、ふてくされ部屋の隅っこで拗ねていた私を思いだします。

私の思い出話はさておいて、今日は「中馬のおひなさん」のご紹介です。
「中馬のおひなさん」とは、豊田市足助町で毎年行われている町おこしイベントです。
今年で14回目となるこのイベントは、いまや各地で行われている「雛めぐり」の先駆けとなったイベントでもあります。



花餅


毎年2月から3月にかけて行われる「中馬のおひなさん」は、古い町並みに並ぶ商家や民家が代々伝わるおひなさまを店先や玄関先に飾り、この町を訪れてくれた人々に町並み散策を楽しんでもらおうという「おもてなし」心から始まったイベントです。
いまではすっかり定着した「中馬のおひなさん」
期間中、足助の町は大勢の観光客で賑わいます。
町並みは花餅(餅花)で華やかに彩られ、昔ながらの麩菓子や地元の人達の手作りの漬物、五平餅などが、それぞれのちょっとした玄関先で売られています。





派手なテントの露店などが一切でていないのも、このイベントのいいところだと思います。
ちいさな町ではありますが、飲食のできる休憩所も設けられているので一日ゆっくりのんびり散策することができますよ。

思わず、食い気に走ってしまいましたが、紹介したいのはおひなさまでした(-_-;)
歴史ある商家には江戸時代のおひなさまも展示され、豪華絢爛の御殿飾りを見ることもできます。



細かい細工の御殿や小さな道具類は、それはみごとなもので見応え充分。
明治時代のおひなさまは少しスリムだったり、昭和の始めのおひなさまはふっくらしていたり、時代によって雛人形の顔つきも違うので、そのあたりも鑑賞ポイントかもしれませんね。
また、この地方に古くから伝わる「三河土雛」もたくさん展示されいます。


土雛

素朴な味わいの土雛は、ちょっとユーモラス。
思わず笑顔になってしまいますよ。
元来、雛人形は子供の身代わりとなり事故や病気から守ってくれる縁起物。
子供の健やかな成長と幸福を願う親心の賜物です。
そのせいか雛人形を眺める人達の顔は誰もが和やかでした。



私のおひなさま

私もおひなさまを飾りながら、亡くなった父や母と一緒に眺めた日々を想いだし感謝の気持ちになりました。

ここで、雛人形についてのウンチクをひとつ。
よく桃の節句が終わったら、すぐに片づけないと嫁に行き遅れるとか言いますよね。
でも、迷信なんですねぇ。
本当は、いつまでも片づけないと梅雨も近づき、おひなさまにカビがはえてしまうといけないからだそうですよ。


瀬戸の友人に頂いたスヌーピーのおひなさま


それと、片づけも満足に出来ないと立派な女性になれない、良いお嫁さんにはなれませんよという戒めの意味もあるのだそうです。
綺麗なおひなさま、いつまでも飾っておきたいけれど桃の節句が終わったら、さっさと片付けた方がやっぱりいいようですね。

♪ 灯りをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花 
五人囃子の笛太鼓 きょうは愉しいひなまつり ♪
ああ、女の子(?)に生まれてよかった♡


2012年2月5日日曜日

鯉のぼり寒ざらし 郡上八幡


鯉のぼり寒ざらし

水の町、郡上八幡の冬の風物詩「鯉のぼり寒ざらし」
この日本ならではの風景を皆さんに御紹介したくて、今日も朝早くから車をカッ飛ばして行ってきましたよ。

郡上八幡といえば「郡上おどり」で有名な観光地ですが、夏ばかりではなく四季を通じて趣きのある城下町です。
長良川最大の支流である吉田川沿いに広がる郡上八幡の町には、往時のおもかげを残す家々もそこかしこで見ることができます。



しかし、そこは観光向けに整備されたわけではありません。
用水路
時代は変われど代々受け継がれたその家で、日常の生活が普通に営まれているのです。
都会人にはめずらしくても、ここでは当たり前の町並みなのです。
この地を旅する人は、そんなところに懐かしさや馴染みやすさを感じるのではないでしょうか。
また、郡上八幡は湧水の町としても有名です。
「日本名水百選」の第1号である「宗祇水」をはじめ、町割りに沿って流れる用水路から聞こえてくる水音がこの町にいっそうの趣きを添えます。
そんな情緒漂う城下町の冬の風物詩「鯉のぼり寒ざらし」は、ここでしか見られない光景なのです。
「鯉のぼり寒ざらし」は郡上本染を継承する「渡辺家」と郡上本染後援会の人達によって行われる伝統行事で、岐阜県重要無形文化財に指定されています。


郡上本染の歴史は古く、安土桃山時代が始まりといわれています。
400年以上の歴史があるわけですね。
「寒ざらし」とは、郡上本染の技法のひとつ「カチン染め」の仕上げの工程です。
いくつかの工程を経て染め上げられた鯉のぼりの糊を洗い流す最後の作業が「寒ざらし」というわけです。
最も寒いこの時期に行われる理由は、より冷たい川の水に晒すことで生地は引き締まり、鮮やかに発色するからだそうです。

さて、どんなに美しい光景に出会えるのか期待を胸に到着した郡上八幡の町。


思っていたほどの混雑もなく、車も最寄の駐車場に収まりました。
「寒ざらし」の行われる吉田川の河岸には、もう多くのカメラマンが三脚をセットしてスタンバイ。
うーん、ポジション取りが厳しいな(-_-;)
でも、大きな一眼レフカメラなど持っていない私は、なにくわぬ顔で近づいていってもカメラマンのおじさん達は気にも留めません。
それをいいことに、するするとポジション確保(^O^)
両横のおじさん達のりっぱな一眼レフカメラを眺めていたら、仲よくなって世間話。
始まるまでの時間も楽しく過ごせば、あっという間。


さあ、いよいよ季節の風物詩「鯉のぼり寒ざらし」が始まりました。
はじめは、地元の小学生による「寒ざらし」体験。
地元の子供達に郷土の伝統文化を身近に感じてもらうことは、とても大事なことだと思います。
やるなぁ、郡上市教育委員会。いいねをポチ!
子供達は、びしょぬれになりながらも楽しそうに「寒ざらし」体験をしていましたよ。
子供達の体験が終わると、いよいよ職人さん達の出番です。
紺屋にふさわしい藍染の法被姿の職人さん達は、おたまとブラシを手にしています。

ええっ、おたま?なんで、おたま?
ちょっとミスマッチに思えた「おたま」ですが、職人さんの作業を見ているうちに納得しました。
なんで「おたま」になったのかは解からないけれど、それがこの「寒ざらし」という工程において、いちばん適した道具であることに間違いないのですから。
おたまの後は、ブラシでやさしく生地をなぞって仕上げとなっていきます。
糊が落とされてゆく「鯉のぼり」は、白地がはっきり浮かびだされ、うろこの一枚一枚が色鮮やかになっていきました。
凍てついた川に入って行う厳しい作業。
だからこそ生まれる美しい伝統芸術。
やっぱり日本は美しい。
この山深い城下町で連綿と受け継がれてきた伝統文化は、まさしく日本人の心に響く情景でした。
日本に生まれて良かったなぁ(~o~)
よし!まだまだ私は日本を追いかけるぞ~!