2012年1月22日日曜日

高みの見物 鳳来寺田楽

鳳来寺山からの眺め

ここは標高684m、愛知県新城市の鳳来寺山です。
眼下に広がる雄大な風景に、正月ボケから醒め、思わず大きく深呼吸しました。
鳳来寺の正式名称は、煙巌山鳳来寺。
薬師如来像を本尊とした、真言宗の古刹ですが、仏法僧(ブッポウソウ)の寺としても馴染み深い寺ですよね。
仏法僧とは、コノハズクのことで、フクロウの仲間です。
私も実物は見たことはないのですが、山深いところに生息し、5~6月にだけ「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴くらしいですよ。


鳳来山東照宮

ここ鳳来寺山には、鳳来寺のほか鳳来山東照宮があります。
東照宮といえば、日光、または久能山を思い浮かべますが、こんなところ(失礼)にもあったのですね。
かなりミニサイズではありますが、日光、久能山に次ぐ日本三大東照宮のひとつで、重要文化財に指定されているとは、恥ずかしながら知りませんでした(-_-;)

さて、今回、鳳来寺を訪れたわけは、重要無形民俗文化財に指定されている「鳳来寺田楽」を拝見するためです。
自称、「伝統芸能研究家」である私には、はずせない機会です。
ところで皆さんは、「田楽」ってご存知?
「豆腐田楽」でも「芋田楽」でもなくて、伝統芸能の「田楽」ですよ。
でも調べてみると、あながち伝統芸能の「田楽」と味噌田楽の由来とは無関係ではないようなんですけどね。




そもそも、田楽の起源は平安時代らしいのですが、優雅な「舞楽」とは、また一味違った土臭い伝統芸能です。
というのも、田楽は豊作祈願の農耕儀礼であった「田遊び」から始まった芸能であるからなのです。
「田遊び」とは、田作りから刈入れまでの稲作の過程を模擬的に演じて豊作を祈願し、寺社などに奉納する神事芸能です。



だからといっては失礼かもしれませんが、踊りには雅やかさは感じられません。
比較的、単純な動作の繰り返しが多く、まぁ、ひとくちに言ってしまうと面白くはありません。
しかし、やがてこうした「田楽」や「猿楽」から、現在の「能」や「狂言」が確立されていったのだと思えば、興味深い伝統芸能だと言えるのではないでしょうか。
鳳来寺田楽も含め、三河地方で行われる田楽には、「田遊び」の踊り以外にも、仮面の舞や神楽風の舞など諸芸競演の要素が含まれるのが特徴だそうです。



確かに、仮面の舞があったり、獅子も登場するのですが、いまひとつ迫力というか魅力に欠けているのが残念でなりませんでした。
そこには、後継者不足という深刻な問題があるようです。
悪く言うつもりはまったくないのですが、あえて言わせて頂きますと、今回拝見させて頂いた「鳳来寺田楽」は悲惨なものでした。
後継者となる若者の演者には、まったくやる気が見られず、ただダラダラと動いているだけ。



見物客のいる本番中に、指導者が出てきて立ち位置を変えたりで、まるで練習風景を観ているのかと言えるほど酷いものでした。
「これが国指定重要文化財なのか?」
期待をして見に行っただけに、落胆もしました(-_-;)

でも、来年に期待しましょう。
民族芸能を伝承していくということの難しさは、私には計り知れないことです。
ただ見るだけの分際で、批評することはできません。
私は、こうした伝統芸能が、正しい姿で後世に受け継がれていくことだけを切に願うのみです。






2012年1月15日日曜日

名古屋中国春節祭

川劇「変面」

1月14日、私は中国文化に触れるべく、中区栄の久屋公園に向かいました。
なんと、3年ぶりに地下鉄に乗り、デパートが建ち並ぶ栄の街に行ったのです(~_~;)
この日行われたイベントは、「名古屋中国春節祭」というもの。
いままで、このようなイベントが名古屋で毎年行われているとは、まったく知りませんでしたが「名古屋中国春節祭」は、今年で6回目になるそうです。
そこで、私も「春節」の雰囲気を味わうため、苦手な繁華街ですが、出かけて行ったのです。

獅子舞


長崎や神戸、横浜のように中華街があるところの皆さんは、「春節」のイベントも身近に感じられるのでしょうが、名古屋において「春節」は、あまり身近なイベントではありませんよね。

ところで皆さん、「春節」は御存知ですよね。
現在の中国は、もちろん日本と同じグレゴリオ暦に基づいて日常生活がなされていますが、中国の人々は、新暦の正月よりも旧暦の正月、つまり「春節」を新年を祝う最も重要なイベントとしているそうです。

辣美舞


私は、旧暦について詳しくないのでよく解からないのですが、「春節」は毎年同じ日という訳ではないそうで、今年の「春節」は1月23日なんだそうです。
ちなみに来年は、2月10日だそうですよ(゜.゜)?
毎年、違うのでは憶えられませんね(-_-;)


雑技



去年のイベントがどうだったかは知りませんが、今年の「名古屋中国春節祭」には、「重慶文化芸術団が特別来日!」とあるので、そりゃタダで観られるのなら儲けものと思い、勇んで出かけましたよ。
私が 会場に到着したのはの正午近く、もう、その時刻には凄い人だかりになっていました。
さすが、名古屋一の繁華街、半端なく混雑していました。
ステージらしきセットは、なんとなく見えるのですが、音はすれども、姿は見えずといった状態です。


変面


観客席もあるようですが、とてもじゃないけど近づけない感じでした。
「こりゃダメだ」と思って諦めかけた矢先、ちょうど重慶文化芸術団の午前の公演が終わり、見物の人垣がバラバラと崩れていきました。
チャンス到来、すかさず人波に逆らって前へ進み、絶好のポジションを確保しました(*^^)v

重慶文化芸術団の午後の公演は1時からですが、ステージでは地元名古屋の人達の踊りなどが行われていたので、ゆる~く待つことが出来ました。
やがて、獅子舞が始まりると、気分は「春節」に。

変面


中国の獅子は黄色と赤でとてもカラフル。
毛がフサフサしていて、日本の獅子より目もぱっちりしていて可愛い感じです。
中国独特の音階にのって踊る獅子は、ユーモラスで愉しく、仕草も可愛いのですよ。
獅子に頭を噛んでもらうと、1年間無病息災でいられるのだそうです。
私も噛んでもらいたかったけど、ちょっと恥ずかしくて頭を差し出す勇気がありませんでした。

辣姉妹




そして、いよいよ重慶文化芸術団の登場です。
始まりましたよ。
なんとまあ、綺麗なお姉さん達の登場です。
衣装も美しいけど、本当に美人でスタイルの良いお姉さんばかりです。
見物のおじさん達は、拍手喝采。
あまりの美しさに、口をあんぐりと開けたままのおじさんもいたりして(^_^.)



中国武術


色っぽいチャイナドレスで登場した時なんぞは、もう、今にもヨダレがこぼれ落ちそうな顔してました。
彼女達は「辣美舞」という重慶文化芸術団の誇る美女だけで編成された踊りチームだそうです。
うーん、美女しか採用されないのかぁ?キビシイ世界だな(-"-)!
彼女達は、衣装を変えて5回登場しましたが、どの踊りも美しくて、うっとり見入ってしまいました。


辣美舞「千手観音」

なかでも、ラストを飾った「千手観音」という踊りは、華麗で美しかったですよ。
そして、私が一番観たかった、川劇(せんげき)「変面」が始まりました。
川劇とは、中国四川省の伝統芸能で、演じている最中に瞬時に面が変わる、すっごい技が特徴なんだそうです。
そして、その説明通りのすっごい技でした。
ほんの一瞬、首をコクッと動かす度に、いろんな色のお面に変わっちゃうのですから、おったまげ(@_@;)!
ほんと、どうなっているんだろう???


龍舞


いやぁ、これぞ中国4,000年の歴史、大したもんですよ。
これを見ただけで得した気分で帰れます
なんでも、その技は現在でも国家機密らしいですよ。
また、「辣姉妹」の演奏は素晴らしく、思わず聞き入ってしまいました。
「辣姉妹」は女性演奏家チームで、琵琶や二胡、楊琴といった中国伝統楽器を使って民族音楽を演奏します。
目を閉じれば、中国の美しい山河が目に浮かんでくるような心地でしたよ。

日本のお父さん達にサービスショット・・・どうだ!

演奏する、その姿も優雅で美しく、やっぱり女性はいいですね。
その他にも、中国武術や中国雑技の一輪車の曲芸なども楽しく見学することが出来ました。

いやぁ、楽しかったな。
たっぷり1時間半「重慶文化芸術団」の公演を観て満足した私は席を離れ、飲食店ブースで辛~い「刀削麺」を食べて、「豚の耳」となんていう料理かわからないけど、ピーナッツの入った炒め物やら、揚げパンやら、いろいろ買い込み自宅に帰りました。
中華料理で一杯、美味しかったですよ。


私は、香港や台湾には行ったことがあるのですけど、中国大陸には上陸したことがありません。
悠久の都、重慶にもいつか行ってみたいなぁ、お金と暇があればですけど・・・(-_-;)


2012年1月9日月曜日

田んぼで凧揚げ こうた凧揚げまつり



「凧揚げまつり」があると聞きつけ、今日も車を飛ばしてお出掛けです。
のどかな田園風景が広がる額田郡幸田町、「菱池」という地名をたよりに、なんとかやって来ましたが凧揚げ会場はどこかな?
あたりは、田んぼばっかりだけど・・・?

あれあれ、遠くの空に凧が見えてきましたよ。
凧を見上げながら近づいて行くと、そこは田んぼのど真ん中。
えぇっ!田んぼで凧揚げ\(◎o◎)/!




刈取りを終えた田んぼではあるけれど、あんなにどやどやと入っちゃってもいいの?
スニーカーで大丈夫かな?
ちょっと心配だったけど、大凧を見上げながら田んぼの畔道を歩いていたら、なんだか楽しくなってきました。
だって、田んぼの中に入るのは、はじめての経験なんです。
田んぼの土は、きれいに乾いていてやわらかく、足裏に大地の感触が伝わってきます。
刈り取った稲の残り株の凸凹さえも心地いいなぁ(~o~)


空を見上げれば、雲ひとつない快晴。
まさしく、凧揚げ日和じゃないですか!
そして、その晴れ渡った青空に武者絵が描かれた大凧が悠然と泳いでいます。
空気もいいし、田舎の祭り(失礼)って風情が実にいい(^_^.)
私の中のイメージでは、故郷の正月って、こんな感じなんだよなぁ。
それに武者絵の描かれた凧って、すごく日本的で素敵ですよね。



うーん、かっこいいなぁ。

実は私、静岡県の浜松生まれ。
「凧揚げまつり」の本場の生まれなんですよ。
子供時から見てるので、凧上げがめずらしい訳じゃないのだけれど、逆に言うと浜松の「凧揚げまつり」しか見たことがないわけで、こんなふうに田んぼの中を駆け回って凧を揚げているのが、なんだか、のどかで楽しそうで「いいなぁ」と思えるのですよ。

もう、長年見てないので現在がどうなのかわからないけれど、私の知ってる浜松の「凧揚げまつり」は男の祭りで、町と町との喧嘩凧。
凧糸を切り合って競う激しいものでした。
あちらこちらで、酔っ払った男たちの小競り合いが起きていて、なんだか怖かった思い出しかありません。
私が子供だった頃は、背中にりっぱな刺青が入った強面のおじさんもいっぱいいましたよ(゜o゜)


凧揚げ場に子供がうろちょろしようもんなら、「危ないからあっちへ行け」と怒鳴られたもんです。
凧の絵柄も「町の紋」であって、そんなに華やかなものではありません。
だから、故郷のまつりであっても、浜松の「凧揚げまつり」には、あんまり良い思い出はないのです。




浜松の「凧揚げまつり」の初日は、「初凧」と言って、その年に生まれた男の子の誕生を祝い、その子の名前を入れた凧を作り、それを町内の人達があげてくれる風習があります。
だから、男の子の生まれた家は、ご祝儀やらお酒や食事をふるまわなくてはいけないので、大変な出費となると聞いています。
私は生まれてなかったのだから覚えもないのですけど、私の兄が生まれた時は大変な騒ぎだったと母から聞かされたことがあります。



現在は男の子に限らず、女の子の初凧もあるそうで、凧揚げ場には威勢のいい法被姿の女性の姿も目立つそうですよ。
時代は、変わっていくもんなんですね(-_-;)
って、浜松の「凧揚げまつり」の話をしても仕方ないので、これくらいにして。

瀧廉太郎の「お正月」という題名の童謡、憶えてますか?
♪もう、いくつ寝るとお正月~お正月には凧あげて~コマをまわして遊びましょうって、言ってるでしょ。
昔から、凧揚げは、お正月にするもんなんですよ!



20年くらい前までは、お正月に公園や空き地で、ゲイラカイト(懐かしい響き)を揚げてる親子を見たもんですけどね。
今では、すっかり見かけない光景になってしまいましたね。

幸田町の「凧揚げまつり」は、今年で15回目だそうです。
歴史や伝統のある「凧揚げまつり」ではないけど、町民参加の手作り感あふれるイベントでした。
当日に手づくり凧を持って行けば、誰でもまつりに参加できるそうですよ。

ご自慢の手作り凧があれば、皆さんもぜひ、来年参加してみたらいかがですか?
田んぼのうえを走りまわって凧揚げするのですよ。
絶対、面白いと思いますよ。


2012年1月6日金曜日

京のみやび 蹴鞠はじめ

蹴鞠はじめの儀

正月休みも最後となった4日、平安の雅を今に伝える下鴨神社の祭事「蹴鞠はじめ」の儀を見学するため、一路京都へ向かいました。
天候に不安はあったものの、なんとしても見たい一心で朝8時に自宅を出発しました。
往きは順調に車を飛ばし、10時半に目的地の下鴨神社に到着。
駐車場にも、すんなり車を入れることが出来て一安心。

ここ下鴨神社は、京都の洛北に位置し、境内の広さは約12万4千平方メートル、東京ドーム3個分の広さです。

舞殿


樹齢200年~600年の樹木からなる 「糺(ただす)の森」 を含め、国宝である本殿2棟と重要文化財を含む社殿53棟は、平成6年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

下鴨神社の正式名は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)というそうです。
下鴨神社には、「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」を祀った西殿と、「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」を祀った東殿の2つの本殿があり、その両方が国宝に指定されています。

楼門

まずは参詣をするべく、朱塗りの楼門をくぐり本殿に向かいました。
本殿の前には囲いがあり、直接拝観することはできませんが、囲いの向こうの本殿に向かって二拝二拍手一拝。
次に本殿前にある十二支を祀った社が7つ並ぶ「言社」で、自分の干支の神様を探して参詣をしました。
参詣も無事済ませ、破魔矢を買って、時刻は、まだ11時。
「蹴鞠はじめ」の開始時刻の午後1時30分までは、たっぷり時間があります。


神服殿と鞠庭

さて、どうやって時間を過ごそうかと周囲を見渡すと、神服殿前の「鞠庭」に気がつきました。
まだまだ時間があるのですが、綱の張られた「鞠庭」のまわりでは、早くもカメラマン達の場所取り合戦が始まっていました。
「えっ!もう場所取りなの?」と、少し焦りましたが、時期尚早のような気がしたので、とりあえず腹ごしらえに向かいました。

「糺の森」の参道には、露店の屋台が立ち並んでいて、縁日の風情です。
神社を出て食事をしていたのでは場所取り合戦に遅れをとりそうなので、露店のやきそばを食べて、取り急ぎ「鞠庭」に戻りました。



「鞠庭」には、二重の人垣ができていましたが、まだ焦っても仕方ありません。
そこで、特別公開されている「大炊殿(おおいどの)」を拝観することにしました。
拝観料500円を支払って、葵の庭に入って行くと、そこは塀ひとつ隔てた喧騒とはうって変わり、静けさに支配された場所でした。
「大炊殿」は、ひらたく言うと、神様にお供えする食事の調理場で、現在は使われていませんが、土間にかまどが二つ並んだ、いわゆる台所でした。
特別興味深いものはありませんでしたが、ここも、りっぱな重要文化財とのことでした(~_~;)



やっぱり気が急いて、ゆっくり見ている余裕もなく、結局、拝観もそこそこに「鞠庭」に戻ることにしました。
いよいよ場所取り合戦に参戦です。
時刻は12時、人波をかいくぐり4列目までいったところで周りを見渡し、隙を見計らって3列目に・・・そうこうしてたら、突然、目の前の2列目の椅子席に座っていた人が席を立ったので、間髪入れず着席。
我ながら、びっくりするほど俊敏に動きましたよ、辺りの人も私の早業に、さぞや驚いたことでしょう(゜o゜)!
椅子席は確保したものの、まだ開始時刻まで1時間半もあります。



でも、椅子に座って待つのであれば、楽チン楽チン(*^^)v
余裕で、開始時刻を待っていましたが、なんだか空模様があやしくなってきました。
あっという間に雪雲は広がり、昼だというのに薄暗くなってきたのです。
はらはらと降りだした雪は、やがて本降りになり、私の頭上にも容赦なく積もっていきます。
しかし、首尾よく手に入れた椅子席は、なんとしても死守しなければなりません。
ひたすら、じっと耐え抜きましたよ。
こういう時のために、使い捨てカイロを持参してよかったぁ(^_^.)



4つ持っていたカイロの2つをブーツに入れ、残り2つを背中に貼って、なんとか凌ぎました。
京都の冬は寒い!実感しました(>_<)

やがて雪は止み、いよいよ「蹴鞠はじめ」の開始時刻の午後1時30分となりました。
しかし、「鞠人」は、いっこうに登場しません。
なにしろ、奉納神事ですから、まずは本殿でのお祓いやら祈祷やらがあるそうです。


それから、また首を長くして待つこと30分、やっと「鞠人」の登場です。
「鞠人」が時代装束で登場すると、会場は一瞬ざわめき、一斉にカメラのジャッター音が鳴り響きました。
鞠人の装束は、水干(すいかん)に袴、烏帽子姿なのですが、その装束の華やかさは「雅」そのもので、まるで「源氏物語」の世界です。
大変失礼なんですけど、鞠人の年齢が、あと20才ばかり若かったら、きっと私の妄想にも歯止めがきかなっかったでしょう(~_~;)



「源氏物語」にも蹴鞠の場面がいくつかありますが、その中でも「若菜上」の夕霧や柏木が六条院の庭で蹴鞠に興じる場面は、激しく妄想に駆り立てられる場面です。
なぜなら、この場面で柏木は女三の宮(光源氏の妻)を垣間見て、恋に落ちるのです。
やがて、道ならぬ恋に悩んだ柏木は破滅の道をまっしぐら、命までも落としてしまうのです。
せつない恋の話なんですが、私は、いまいちヒロインである女三の宮が好きになれず、結末にも納得がいかないのですけど・・・。




「源氏物語」の話は、これくらいにして、ここで「蹴鞠」のルールに関してのウンチクをひとつ。
鞠は、右足で蹴るのが決まりなんですよ、知ってました?
膝は曲げずに伸ばしたままで地面に近い低い位置で蹴り、後ろ向きに蹴り上げたりしてはダメなんだそうですよ。
「蹴鞠」は、勝ち負け競う勝負事ではなく、8人または6人で輪になって鞠を蹴り、巧みな足さばきを競い合うといった優雅な遊びなんですよ。
現在では、作法を重んじる伝統芸能ってことなんですけどね。
下鴨神社の「蹴鞠はじめ」の儀は、「蹴鞠保存会」によって行われる奉納儀式のひとつという訳です。



下鴨神社の「蹴鞠はじめ」の儀を観ての感想は、さすが「京の都の伝統行事」と言わざるを得ません。
とにかく、その優雅さに感服しましたよ。
蹴鞠も装束も、それを取り巻く風景も、なにもかもがすべて揃っているのですから文句のつけようがありません。
高速道路をぶっ飛ばし、はるばる名古屋からやって来て、雪にもめげずお地蔵さんのように固まって待ち続けること2時間、それでも待った甲斐はありましたよ。
それほどに美しく華麗な時代絵巻あることは、間違いありません。
しかし、荘厳な時代絵巻を観ているような典雅な時間は、約1時間で終わってしまいました・・・けど。



2012年1月1日日曜日

お正月の食卓

おせち料理

皆様、明けましておめでとうございます。
拙いブログですが、いつも読んでくださってありがとうございます。
本年も、私目線の身近な話を綴っていきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

さて、2012年の最初は「おせち」の話。
日本のお正月は、「おせち」と「お雑煮」から始まりますよね。
私も昨日、半日かけて「おせち」を作りましたよ。


煮しめ


私は、料理好きでも料理上手でもないのですが、毎年「おせち」は作ります。
ひとり暮らしなんだから、作る必要もないだろうと思われるかもしれませんが、やっぱり「おせち」のない正月は、寂しいですからね。
それに、お正月は友人たちが「おせち」目当てに、我が家に集まります。
別に、約束も招待もしてないのですが勝手に来ます(~_~;)
我が家のおきては「お酒は持参すること」だけですから、それぞれ自分の好みの酒を片手にやって来ます。

ロールチキン・スモークサーモン・卵焼き・蒲鉾
海老の塩焼き・鴨のロースト・貝の煮付

さすがに元旦は誰も来ないけど、そんな調子で3日あたりで「おせち」は完食となります。

私は、市販の「おせち」を買ったことがありません。
当然、食べたこともありません。
広告写真などを見ると、とても美味しそうなので「注文してみたいなぁ」とは思うのですが、とにかく高価なので貧乏性の私には、買うことができません。

子持ち昆布・ローストビーフ・牡蠣の燻製・焼豚



デパートで扱っている高級料亭の「おせち」などは5万円はするし、コンビニやスーパーの「おせち」でも2万円もするのですよ。
一年に一度のことだから、贅沢するのも良いでしょう。
きっと、それだけの価値があるくらい美味しいのだと思います。
だけど、どんな豪華でリッチな「おせち」より、やっぱり手作り「おせち」が良いようにも思えるのです。


カリフラワーとパプリカのマリネ・なます
黒豆・昆布巻き・田作り

一年に一度だからこそ、自分で作るのが大事だとも思うのです。
たとえば、「煮しめ」だけでも、「黒豆」だけでも、我が家の味を大切にしてみませんか?
市販の「おせち」のように彩り豊かにはできなくても、手の込んだものは作れなくても、家族と囲むお正月の膳は、やはりお母さんの手作り「おせち」がいいもんですよ。
珍しい料理もいいけど、いつも食べてる「知ってる味」だからこそ、安心して食べられるのではないでしょうかね。


レッツ!おせち


母になったことがない私が偉そうなことを言うのは、おこがましいのですが「おせち」を作らないお母さんが増えていく、現在の状況は寂しいことだと思います。
「おせち」作りは、母親から娘に受け継がれていくべき美しい風習だと思うのですよ。
あまり母のお手伝いなどしなかった私ですけど、大晦日は母とふたりで台所に立って「おせち」を作りましたよ。
自分が食べたかったからなんですけど、母が亡くなった今では懐かしく想い出します。

お雑煮



味見と称して、つまみながら重箱に詰めるのは、いつも私の役目だったなぁ(ー_ー)
最近の私は、「おせち」を重箱には入れません。
重箱の入れると、皆、勝手に好きなものだけ食べてしまって、すぐ無くなってしまうからです。
そこで、4年くらい前から、ひとりづつ皿盛りにして出すことしました。
その方が見映えもよく、うまく盛り付ければ高級感がでますよ。


少しだけ、器に凝れば、私の作った煮しめでさえ美味しく見えてきます。
私は、母のように料理上手ではないけれど、食べに来てくれる友人達がいる限り、「おせち」だけは作り続けたいと思っています。