2011年11月27日日曜日

六華苑 秋の舞楽会

納曽利(そなり)右方 走舞

秋晴れの土曜日、三重県桑名市の六華苑で行われた「舞楽」を鑑賞してきました。

日本古来の芸能なのに、私達は、あまり「雅楽」や「舞楽」に親しむ機会がありませんよね。
「能」「狂言」であれば、能楽堂に行けば観る事が出来るし、「歌舞伎」であれば、歌舞伎座に行けば観る事ができます。
けれど、「雅楽」や「舞楽」は、どこで観ることが出来るのでしょう?
正直なところ、そんなことに関心を持ったこともないのがホンネではないですか?


打球楽(だきゅうらく)左方 平舞


「雅楽」だけであれば、時々演奏会などもありますし、比較的大きな神社などでも聞く機会もあると思うのですが、「舞楽」となるとなかなか鑑賞する機会はありませんよね。

歴史的見地からすれば、「能」「狂言」あるいは「歌舞伎」より、古くから伝わる伝統芸能である「舞楽」ですが、身近に感じられないのは、なぜなんでしょう?


五常楽(ごしょうらく)左方 平舞


「雅楽」というと、なんだか、一般市民には縁遠い感じがしませんか?
平安の昔から、宮中の音楽というようなイメージが残っているのは、いまでも宮内庁式部職楽部という「雅楽」を専門とした楽士が存在するからでしょうかね。
皇室の行事や外国からの来賓をもてなす重要な仕事なんでしょうけど、私達一般人には、さっぱり分からない世界ですからね。


雅楽


現在では、皇室に限らず一般人でも「雅楽」を嗜む方は、たくさんいらっしゃると思います。
とはいっても、洋楽を嗜んでいる方の10分の1にも満たないとは思いますが。

ほとんどの人は、「雅楽」について「聞いたことはある」という程度の認識しか持っていないだろうと思います。
ましてや、「舞楽」となると、もっともっと縁遠い存在でしかないのが実情でしょう。



萬歳楽(まんざいらく)左方 平舞


私にとって、「舞楽」は「源氏物語」のなかの一場面。
紫式部さんが、ノリノリで書いている「紅葉賀」の場面です。
若き光源氏と頭中将が朱雀院の前で舞い、若い女官達を虜にするあの場面。
たしか「青海波」を舞ったと書かれていたように思うのですが・・・さだかでは、ありません<(_ _)>


迦陵頻(かりょうぴん)左方 童舞


私も、典雅な平安貴族の世界に、あこがれたもんですよ(~_~;)
自分も十二単を着た、どこぞの姫君になった気になって、光源氏さまから、言い寄られたら「どうしませう」などと妄想してた次第です。
おっと、話が逸れたので・・・基!

今回、「舞楽」を鑑賞するにあたって、私は予習して万全の態勢で行ったのですが、やはり素人なので、充分に「舞楽」を理解できたとは言えませんが、ただボケっと見てたわけではありませんよ。


陵王(りょうおう)左方 走舞

まず、右方・左方という伝来の違いを見分けることに専念しました。
右方と称される舞は、朝鮮半島を経由して伝来された高麗舞、そして左方と称されるのは、唐を経由して伝来された唐舞。
右方は、緑を基調とした装束で、少しだけ歯切れのいいリズム感があり、左方は朱色を基調とした装束で、少しだけ抑揚のあるメロディで構成されていました。
私の観た感じでは、左方の舞の方がタイミングをとるのが難しく、4人で舞う場合ズレが生じる場合が多かったように思います。

納曽利(なそり)右方 童舞


舞の種類は、平舞・走舞・武舞・童舞とあります。
これに関しては、誰でもすぐ理解できますよ。
平舞は、武器や面を用いず舞う穏やかな舞。
走舞は、面を着けて、活発な動きのある舞。
武舞は、太刀や剣を持って舞う勇壮な舞。
童舞は、文字通り、子供の舞。


左、鉦鼓  右、太鼓



「雅楽」の楽器のに関しては、右方(高麗楽)が篳篥(ひちりき)・高麗笛(こまぶえ)・鉦鼓(しょうこ)・三ノ鼓(さんのつづみ)・太鼓(たいこ)、左方(唐楽)は、笙(しょう)・篳篥・龍笛(りゅうてき)・鉦鼓・鞨鼓(かっこ)・太鼓といった編成で左方の方が、少し人数も多いようです。
予習はしていったものの、鑑賞のツボのようなものは、よくわかりませんでしたが、演目についての紹介パンフレットを頂いたので、どんな内容で、どんな意味があって、どういう時に舞うのかが、理解できてありがたく思いました。

今回の舞楽会は、「多度雅楽会」の方々の主催で行われたそうです。
この「六華苑」では、毎年、春と秋の年2回の公演があるそうですよ。
平安の雅を伝える舞と調べ、いいものですよ。
みなさんも、次の機会に鑑賞されてはいかがですか?



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