2011年11月27日日曜日

六華苑 秋の舞楽会

納曽利(そなり)右方 走舞

秋晴れの土曜日、三重県桑名市の六華苑で行われた「舞楽」を鑑賞してきました。

日本古来の芸能なのに、私達は、あまり「雅楽」や「舞楽」に親しむ機会がありませんよね。
「能」「狂言」であれば、能楽堂に行けば観る事が出来るし、「歌舞伎」であれば、歌舞伎座に行けば観る事ができます。
けれど、「雅楽」や「舞楽」は、どこで観ることが出来るのでしょう?
正直なところ、そんなことに関心を持ったこともないのがホンネではないですか?


打球楽(だきゅうらく)左方 平舞


「雅楽」だけであれば、時々演奏会などもありますし、比較的大きな神社などでも聞く機会もあると思うのですが、「舞楽」となるとなかなか鑑賞する機会はありませんよね。

歴史的見地からすれば、「能」「狂言」あるいは「歌舞伎」より、古くから伝わる伝統芸能である「舞楽」ですが、身近に感じられないのは、なぜなんでしょう?


五常楽(ごしょうらく)左方 平舞


「雅楽」というと、なんだか、一般市民には縁遠い感じがしませんか?
平安の昔から、宮中の音楽というようなイメージが残っているのは、いまでも宮内庁式部職楽部という「雅楽」を専門とした楽士が存在するからでしょうかね。
皇室の行事や外国からの来賓をもてなす重要な仕事なんでしょうけど、私達一般人には、さっぱり分からない世界ですからね。


雅楽


現在では、皇室に限らず一般人でも「雅楽」を嗜む方は、たくさんいらっしゃると思います。
とはいっても、洋楽を嗜んでいる方の10分の1にも満たないとは思いますが。

ほとんどの人は、「雅楽」について「聞いたことはある」という程度の認識しか持っていないだろうと思います。
ましてや、「舞楽」となると、もっともっと縁遠い存在でしかないのが実情でしょう。



萬歳楽(まんざいらく)左方 平舞


私にとって、「舞楽」は「源氏物語」のなかの一場面。
紫式部さんが、ノリノリで書いている「紅葉賀」の場面です。
若き光源氏と頭中将が朱雀院の前で舞い、若い女官達を虜にするあの場面。
たしか「青海波」を舞ったと書かれていたように思うのですが・・・さだかでは、ありません<(_ _)>


迦陵頻(かりょうぴん)左方 童舞


私も、典雅な平安貴族の世界に、あこがれたもんですよ(~_~;)
自分も十二単を着た、どこぞの姫君になった気になって、光源氏さまから、言い寄られたら「どうしませう」などと妄想してた次第です。
おっと、話が逸れたので・・・基!

今回、「舞楽」を鑑賞するにあたって、私は予習して万全の態勢で行ったのですが、やはり素人なので、充分に「舞楽」を理解できたとは言えませんが、ただボケっと見てたわけではありませんよ。


陵王(りょうおう)左方 走舞

まず、右方・左方という伝来の違いを見分けることに専念しました。
右方と称される舞は、朝鮮半島を経由して伝来された高麗舞、そして左方と称されるのは、唐を経由して伝来された唐舞。
右方は、緑を基調とした装束で、少しだけ歯切れのいいリズム感があり、左方は朱色を基調とした装束で、少しだけ抑揚のあるメロディで構成されていました。
私の観た感じでは、左方の舞の方がタイミングをとるのが難しく、4人で舞う場合ズレが生じる場合が多かったように思います。

納曽利(なそり)右方 童舞


舞の種類は、平舞・走舞・武舞・童舞とあります。
これに関しては、誰でもすぐ理解できますよ。
平舞は、武器や面を用いず舞う穏やかな舞。
走舞は、面を着けて、活発な動きのある舞。
武舞は、太刀や剣を持って舞う勇壮な舞。
童舞は、文字通り、子供の舞。


左、鉦鼓  右、太鼓



「雅楽」の楽器のに関しては、右方(高麗楽)が篳篥(ひちりき)・高麗笛(こまぶえ)・鉦鼓(しょうこ)・三ノ鼓(さんのつづみ)・太鼓(たいこ)、左方(唐楽)は、笙(しょう)・篳篥・龍笛(りゅうてき)・鉦鼓・鞨鼓(かっこ)・太鼓といった編成で左方の方が、少し人数も多いようです。
予習はしていったものの、鑑賞のツボのようなものは、よくわかりませんでしたが、演目についての紹介パンフレットを頂いたので、どんな内容で、どんな意味があって、どういう時に舞うのかが、理解できてありがたく思いました。

今回の舞楽会は、「多度雅楽会」の方々の主催で行われたそうです。
この「六華苑」では、毎年、春と秋の年2回の公演があるそうですよ。
平安の雅を伝える舞と調べ、いいものですよ。
みなさんも、次の機会に鑑賞されてはいかがですか?



2011年11月24日木曜日

豊川稲荷秋季大祭

神輿


恥ずかしながら、私、今日の今日まで、豊川稲荷が寺院であるとを知りませんでした(-_-;)
「お稲荷さん」と呼ばれるところは、狐を祀った神社だと勝手に思い込んでいたのです。

豊川稲荷の正式名は「圓福山 豊川閣 妙巖寺」、歴史ある曹洞宗のお寺でした。




大提灯


家に戻ってから、調べてみたのですが、妙巖寺は「ダキニ真天」という仏教の守護神がお祀りされているお寺で、「ダキニ真天」は稲穂を荷い、白い狐に跨っておられたとか。
だから、「稲荷」で、「狐」なのかぁ(ー_ー)
キツネをお祀りした稲荷神社とは、違うのね。


妙巖寺本殿



しかし、知らぬ事とはいえ、神社だと思い込んでいた私は、あろうことか柏手を打って、お参りをしてしまいました。
アレ?まわりの反応が少々おかしい(?_?)
すると、隣に立っていたおじさんが「ここは、神社じゃないよ」って教えてくださいました。
え~!ウソ!だって、鳥居もあったし・・・。





なんともバツが悪くて、そのおじさんに謝ってみましたが、謝られたおじさんも困った顔して、「別に謝らなくても・・・みんな勘違いするし・・」と、言葉を濁して逃げて行ってしまいました。
あぁ、恥ずかし~い(~_~;)
いい歳して、自分の無知さに、あきれました。



さて、気をとりなおして。
今日は、その豊川稲荷の秋季大祭です。
「鎮座祭」とも呼ばれるこの祭りは、「豊年万作」を祈祷するお祭だそうです。
境内には、高さ10m直径5メートルの一対の大提灯が掲げられ、お参りに訪れた人たちを迎え入れます。



いなり寿司

また、豊楽殿では、箏や和太鼓の演奏なども行われ、お祭り気分を盛り上げます。
特産品のお店や露店も建ち並び、境内は多くの人達で賑わっていました。
いなり寿司の販売所には、人気店のいなり寿司が何種類も並んでいて、どれにしようか迷ってしまいました。
どれも美味しそうで悩んでいたら、「1個だと350円だけど、3個で1,000円だよ」と言われて、つい、3個も買ってしまいました。
ひとりで全部食べられるのか?って?

白狐

大丈夫です。
まずは、お昼に休憩所で1個食べ、家に帰って晩御飯に1個食べ、残りの1個は、明日のお弁当(*^^)v
境内では、無料の接待もあって、私は、甘酒とみたらし団子を頂きました。
有り難いことです、感謝(^o^)

まずは、境内をぐるり一周散策しました。
神輿渡御が始まるまで時間があったので、一旦、豊川稲荷を出て参道の商店街もぶらぶらしてみました。
この日は、商店街も「いなり楽市」と題されたイベントが行われていて、大変な賑わいです。


神輿渡御

参道は短いですが、お土産屋さんや飲食店が建ち並んでおり、活気があります。
金魚すくいの露店があったり、大道芸が行われていたり、賑やかでしたよ。
「いっぷく亭」で、いっぷくして、お店の方とおしゃべりをしていたら、そろそろ神輿渡御の時間となったので、豊川稲荷に戻ってスタンバイ。

いよいよ、神輿渡御が始まりました。
昨日、本殿から鎮守堂に渡御された神輿が、きょうは、また本殿に戻されるのですが、その距離は、200メートルくらいです。
神輿行列は、裃姿の信徒代表からはじまり、、稚児、僧侶、雅楽士、白狐の面を付けた人が二人、神輿という順番で、目の前を通り過ぎていきました。
しかし、とても短い距離なので、あっという間に終わりました。
狐塚


神輿は「わっしょい、わっしょい」と賑やかでは、ありましたが、あまりのあっけなさに、ちょっとがっかり。
もっと迫力ある神輿を期待していたのだけどなぁ(゜.゜)
正直、「祭り」はハズレでしたが、たまにはハズレもあるもんです。
恥もかいたけど、豊川稲荷が神社ではなく、寺院だったことも分かって、勉強になったんだから、まあ、いいか。
自分に、そう言い聞かせ、いなり寿司を抱えて帰りました。
ちなみに、いなり寿司は美味しかったですよ。



しかし、妙巖寺は、りっぱな古刹であり、必見の価値があるりっぱな、お寺でした。
「寺宝館」には、妙巖寺の歴史資料や絵画、軸、刀や輿なども展示されており、観ておいて損はありません。
それと、狐塚は、なかなか見る事の出来ない光景で、面白いですよ。

ところで、みなさん豊川稲荷が、寺院だったって知ってました?

2011年11月21日月曜日

小原の四季桜

小原の四季桜

雨上がりの日曜日、お花見に出かけました。
お花見?今ごろ?紅葉狩りじゃなくて?
って、思うのが当然ですよね。
でもね、本当にお花見に行ったのです!

どうです?綺麗な桜でしょう。
豊田市小原町の四季桜ですよ。
秋なのに、なんで桜が咲いているのかって?

小原の四季桜は、マメザクラとエドヒガンという桜の交配種で、春と秋の2回咲くのだそうです。


四季桜


でも、春は、花と同時に葉もでてくるので、花が目立ないうえ花数も少なく、あまり見映えがしないのですって。
だから、小原の四季桜は、秋に愛でる桜って訳です。

淡い紅色で、5弁の花びらの小さくて可憐な四季桜。
春に咲くソメイヨシノのような華やぎはないけれど、静かな山里によく似合う桜です。

川見四季桜の里


残念ながら、前日の風雨で花が散ってしまい、見ごろを少し逃がしてしまいましたが、満開ばかりが花見どきでもないと思うのですよ。
小さな花びらがハラハラと散る様もまた、侘びた風情があっていいものです。
とは、言ってもやっぱり、満開の桜が見てみたかったなぁ(>_<)
なかでも、「川見四季桜の里」には、1,200株もの桜があり、満開時には、山全体が淡紅色に染まるそうです。


和紙のふるさと駐車場横の四季桜

あと2日ほど早ければ、満開の桜が見られたのに・・・(-_-;)
残念ながら、私の見た山は、鮮やかな淡紅色の時期は過ぎ、幹が目立ち始めたので、薄墨がかった淡紅色になっていました。

でも、場所によっては、今、まさに満開のという桜も見ることができましたよ。
 「和紙のふるさと」の駐車場横の公園入口に満開の桜が、3本並んでいました。
綺麗でしたよ(^O^)
桜と紅葉


この時期に、満開の桜が見られるなんて、なんか得した感じで、いい気分。
嬉しくなって、公園の奥まで散策しようと思ったのですが、「ヒグマに注意」の看板を見て断念しました。

ところで、写真はいっぱい撮ってきたんですけど、上の写真だけ見たら、到底、秋だとは信じてもらえないですよね。
どう見ても、早春って感じかな。
そこで、左が証拠写真。


紅葉


手前に、紅く染まったモミジが見えるでしょ、後ろの山も少し紅葉しているのが分かりますか?

古来から、日本人は「お花見」や「紅葉狩り」といったような季節を愉しむ行事が好きですよね。
春は、満開の桜の下で酒を酌み交わし、秋には、紅や黄に染まった錦秋の山々を眺めて、移ろう季節に親しんできました。
しかし、そういった季節に対する概念も、この風景を見たら吹っ飛んでしまいます。

だって、こんなふうに「お花見」と「紅葉狩り」が同時にできてしまうなんて、やっぱり不思議な感じですよ。
変な言い方だけど、不自然な、自然???

言わば、春と秋が同居してるのですから、変な感じがして当たり前なのかもしれませんね。
はじめは、めずらしい風景に、はしゃいでいた私なんですけど、カメラ越しの切り取られた風景だけ見ていたら、春なんだか秋なんだか訳が解からなくなってしまいました。


でも、間違いなく秋でした!
子持ち鮎の炭火焼きときのこ御飯で、秋の味覚を満喫した私は、「やっぱ秋だわ」と納得して帰途についたのでした(~_~;)


2011年11月15日火曜日

窯垣の小径(かまがきのこみち)

男子便所


いきなり、便所の写真から始まる話もどうかと思いますが、「窯垣の小径」資料館で出会ったこの便所に、私はいたく感激したのであります。
どうです?この便器の美しいこと!
たとえ便器であろうとも、ひと筆ひと筆丁寧に描かれた美しい文様に職人魂を感じませんか?
これぞ、日本人の美意識の高さを語るにふさわしいものではありませんか!
世界中の人が日本のトイレにあこがれる昨今、機能ばかりがもてはやされていますが、この美しい便器を見たら、自動で開閉する蓋や暖かい便座が、そんなに重要なことではないように思えてきませんか?
もちろん、その素晴らしい機能に、お世話になってはいるのですが・・・(-_-;)
和式便所


昔、母などはトイレのことを「御不浄(ごふじょう)」と言っていました。
「不浄」な場所に「御」をつけて「御不浄」言う、ただの丁寧語ではなくて、本来トイレは神聖な場所であるべきなんです。
「トイレの神様」は、いつも便器を綺麗に磨いていれば、美人にしてくれるのですよね。
こんな美しい便器が家にあれば誰だって、いつもピッカピカに磨きたくなって、そうとうな美人が増えたはず?ではないかしら(^_^;)
トイレ先進国の日本では、なるべくトイレ掃除をしなくてよい便器を開発しているようですが、それでは日本人女性はブスばかりになってしまいますよ。
機能ばかりを追求するのではなく、ここいらで一旦立ち戻って、便器の様式美も再考してみてはいかがでしょうかね、TOTOさん?INAXさん?


浴室
トイレの話ばかりで恐縮ではありますが、まだ語らせて頂きます。
染付の便器を見るのは、今回が初めてではありませんが、便器という部品ではなく、便所という完全な形で見せて頂いたのは初めてでした。
これこそが「用の美」なんだなぁ、使うからこその美(現在は使われておりませんが)がある訳です。
いくら便器だけが美しくとも、物が物だけに、便器のみ観賞しても意味はありません。
先人達の生活における美意識の高さやこだわりが、便所という場所にまで及んでいたことに、私は、ただ感服するばかりなのです。



浴室タイル

この資料館の便所は、便器のみならず、床や壁に使われているタイルが、これまた素晴らしいのです。
浴室のタイルもそうなのですが、これらのタイルは「本業タイル」と呼ばれ、日本における西洋建築の黎明期を支えた重要な建材でもあったのです。
現在タイルといえば、そのほとんどが磁器製でありますが「本業タイル」は、陶器製です。


窯垣の小径


元来、瀬戸は良質の陶土の産地であったため、陶器で栄えた町です。
その良質な陶土の表面を磁器の土で覆い、その頃発明された「銅版転写」技術により、異国風の図柄のタイルが大量生産されるようになったのです。
しかし、昭和に入ると磁器製タイルの台頭により、「本業タイル」は衰退していったそうです。
だから陶器製タイルは、今では見られない貴重なタイルでもあるのです。


エンゴロの土留め

「本業」とは、もともとの仕事という意味で、つまり、陶器のことを示し、それに対して磁器は「新製」と呼ばれるようになったそうです。
これは、やきものに関してのウンチクには自信があった私でも、初めて知る情報でした。

さて、順番がおかしくはなりましたが、トイレとタイルの話はこれくらいにして、今回のぶらぶら散歩は、瀬戸市の「窯垣の小径」です。
「窯垣の小径」とは、その名のとおり「窯垣」と呼ばれる窯道具の廃材で造られた塀や壁、あるいは土留めの続く細道です。
ツクとエブタの土留め


起伏が激しいうえに、くねくねと曲がりくねっているため、とても歩きやすい道とは言えませんが、陶器の町の風情が色濃く残る地域です。
このあたりは瀬戸市のなかでも、古くからの「やきもの」の主力生産地であり、当時は山の斜面にいくつもの登り窯があったそうです。
窯道具とは、その登り窯などで「製品」を焼く際に使われた道具のことです。


えぶた坂
焼成する際、「製品」に他の釉薬が付かないように囲ったり、「製品」に直接強い炎があたらぬよう囲うために使われたエンゴロや、窯の中に効率よく、たくさん「製品」を詰め込むために使われた、ツク(柱)やエブタ(棚板)などのことを総称して窯道具といいます。
窯道具は、何度も繰り返し使用されたため、固く焼き締められ石にも劣らぬ強度があります。
また、幾度も灰釉を被り微妙な色合いに変化した窯道具は、作為的ではない独特の美しさも備えています。
不要になった窯道具を規則正しく、あるいは一見、無秩序に見えていても工夫されて組まれた塀や壁は、デザイン性よりも素朴さがを感じられ、独特の風情を醸しだしていました。

なんだかトイレの話ばかりで、「窯垣の小径」については、ほんの付け足しみたいになってしまいましたが、瀬戸あるいは「やきもの」を知るうえには、貴重な遺産が残っている地域です。
みなさんも、「窯垣の小径」を歩く機会があったら、資料館の便器をぜひ見てきてください。(まだ言うか(^^)/)




2011年11月11日金曜日

イルミネーション

光の雲海

11月になると、夜の繁華街がイルミネーションで華やぎます。
と、知った風な事を言ってみましたが、私は繁華街が苦手で、夜はおろか昼間もめったに出かけることはありませんけど(-_-;)

近頃は、住宅街でも競うように華々しいイルミネーションを飾りつけた家も多いですよね。
実を言うと、私はクリスマスのイルミネーションがあまり好きではありません。



水上イルミネーション



ゴテゴテと、イルミネーションで飾りつけている家を見ても、馬鹿馬鹿しいとしか感じられなくて、「何が楽しいんだか」と嘯いている嫌な奴なんです(-_-;)
まあ、自分の中に幸せそうな家庭への「妬み」みたいなものがあるのは、否めませんけど・・・(;一_一)

光の回廊


まあ、それはそれとして、街路樹などのイルミネーションを見れば「ああ、年末なんだなぁ」って感じます。
そんな小さな日常で、季節を感じるのもいいけれど、昨日はでっかいイルミネーションを見てきましたよ。
友人に誘われて、「なばなの里」のウインターイルミネーションを見てきたのです。




私は、今回初めて見たのですが、とても美しいものなんですね。
本当はね、少し馬鹿にしていたんですけど、驚きましたよ(@_@;)
Oh,fantastic!

「なばなの里」のウインターイルミネーションは、今年で8回目だそうです。
毎年楽しみにしている方がたくさんいるのだと、ウワサには聞いていましたが納得しました(^_^;) 確かに、綺麗です。

園内は、平日にもかかわらず若いカップル、家族連れ、老夫婦でいっぱいでした。
世界中で、天変地異が起きていようとも、ここは別世界、みーんな幸せそうに見えます。
こんな「平和ボケ」していていいのか?って気もしましたが、光には人の心をなごませる力があるんですね。

「希望の光」とか「救いの光」とか言葉があるように、考えてみたら「光」の前に付く形容詞に、否定的なものはありませんよね。
こんな私でも、地震や津波で被害に遭われた方達に「この美しい光を見せてあげられたら、どんなにいいだろう」と祈りたい気持ちになりました。
やっぱり、光は希望であり、祈りでもあるとつくづく感じましたよ(=_=)
さて、「冬華の競演(トウカのキョウエン)」と題されたイルミネーションですが、園内のあらゆる場所にそれぞれテーマを持ったエリアがあります。
まずは、一面ブルーのLEDが輝く「光の雲海」というテーマの場所が見えてきます。
いくつものアーチがあり、なんだかメルヘンチックで、私には少々、似合わないエリアなので横目で見つつ通り過ぎ、「ツインツリー」や「水上イルミネーション」を眺めながら歩いて行きます。
ながーい「光の回廊」は、ゴールドに輝く白熱電球が使われ、温かみのある光で演出されています。
まるで、別世界への入り口、タイムトンネルのようでもあるし、人生のステージのようでもあります。



一番の見どころは、8,000坪の敷地に繰り広げられる「日本の四季」と題されたイルミネーション。
移りゆく季節を、一本の桜の木をメインに据え、イルミネーションによって変化していく様子を表現していているのですが、音楽も含め、なかなかの演出で感動ものでした。
帰り道は、「虹」と題された白っぽい中に7色に変化するLEDのトンネルをぬけていきます。
鏡池



やっぱり、光は、いいものですね。
なんだか、ほっこりした気持になりましたよ(^O^)

もうひとつ、最後に美しい光景に出合いました。
「鏡池」と題された場所。
池に映し出された紅葉がとても幻想的で、思わず「秋だなぁ」って、つぶやいてしまいますよ、きっと。


私は「なばなの里」のまわし者じゃないですけど、みなさんも一度訪れてみたらいかがですか?
ストレスを抱えてる人も、ちょっぴり、しあわせになれますよ。
ただし、ものすごく混んでますけど・・・。

2011年11月6日日曜日

遠州 森のまつり

慶雲社(向天方)


森のまつりは、凄い。
何が凄いって、とにかく凄いのです。
地元が熱い、やたら熱いのです。

静岡県周智郡森町は、人口2万人あまりの田舎町。
ふだんは静かであろうその町が、祭りで湧き上がっていました。

町内は、ヨチヨチ歩きの子供から老人まで、男女を問わず法被姿の人達だらけ、洋服姿の観光客は、まばらで、町民全員が集まっているのかと思えるほどの人出です。

藤雲社(栄町)




若者は、法被姿で風を切り、若い女性も、きりりと髪を高く盛上げ、ねじり鉢巻のいなせな法被姿。
町のあちこちに詰所があり、どこもかしこも、おじさん達の大宴会。
観光客など、まったく意に介さずの地元密着型の祭りに、ただただ驚きましたよ。

午後1時ごろ、祭囃子と歓声の渦巻く中、三嶋神社に屋台(遠州地方では山車と呼ばず、屋台と言います)が集まってきました。
森町の屋台は、とてもめずらしい二輪の屋台です。
簡単に説明するとリヤカー型なんですけど、それでは失礼なので、平安時代の牛車のような型と形容すべきですね。
森町の屋台の数は、全部で14台。
高さは4m弱で、車輪の直径が1.5~2m、どの屋台も美しい彫刻が施されています。


谷本社(城下)


屋台だけを評価すると、いままで見てきた祭りの山車の中では、小振りで簡素ではありますが、形がめずらしい事や小振りで二輪であるため、激しい動きが可能で迫力は満点です。
屋台は「てこ」のように上下しながらも、左右に振り、曳き回すというスピード感のある動きをします。
2時近くになると、今度は、金森神社に向かって神輿渡御が始まります。

神輿渡御


時代衣装を着た人達を先頭に、神輿が静かに運ばれて行きます。
そのあとに、14台の屋台が続き、町内を練りながら賑やかに巡行していきます。
「お祭り騒ぎ」とは、こういうことなんだと納得出来るほど、みんなひどく酔っ払っているので、時々ハチャメチャな動きになりますが、そこがまた、迫力なんでしょうかね(゜.゜)
とにかく、非常に盛り上がっているのは、いいのですがね、観光客は、ただ唖然とするばかりでついていけないのですよ、この祭りは。

明開社(明治町)


飲食店や商店など、まったく観光客など目当てになどしていません。
町民の詰所や祭り本部はあちこちにあるのに、観光客には、休憩所はおろか腰をおろす場所すらないのです。
食事をしたくても、飲食店は休みか、祭り関係者の貸切で営業はしていません。
露店はいっぱい出ていても、腰をおろして食べる場所もありません。
歩き疲れ、休みたくても喫茶店ひとつ営業していないのです。
つまり、観光客は一切無視。
北街社(新町)




これには、少々あきれたというか、困りました(ーー゛)

近頃は、町おこしイベントなど多い中、この町は、町おこしなどまったく念頭にないようです。
地域の特産品やおみやげを売っている場所も、ひとつもありませんでした。
はじめは、「なんと不親切な町なんだろう」と、あきれたし、少々苛立ちましたが、ここまで無視されると逆に気持ちよいような気もしてきました(ー_ー)!!


湧水社(南町)

元々、自分達の祭りなのだから、観光客などに媚びる必要なんてないんですよ。
徹底的に部外者排除のこの姿勢、半端なとこがなくて、なまじ潔いではないですか!

私は、浜松市の生まれです。
7歳のころまでしか住んでいなかったので、浜松市のこともあまり憶えていませんが、天竜川を挟んだ隣町である森町のことを、全く知りませんでした。

凱生社(天宮)


たまたま、ネットで「森のまつり」のことを知り、今回は浜松市にある両親の墓参りのついでに足をのばして、森町へやって来たのです。
忘れていましたが、考えてみたら私も遠州っ子の端くれなのです。

そう思ったら、他人に媚びないこと、仲間は大切にしても他人を容易に受け容れないところ、遠州っ子気質かもしれません。
なんとなくわかるような気がしてきました。



「森のまつり」は地元の祭り、観光客なんてクソ食らえ!カッコイイぞ!
そんな祭りが、いつまでも続きますように(^O^)