2011年9月30日金曜日

ごんぎつねと彼岸花


新美南吉記念館

童話「ごんぎつね」の故郷、半田市にある新美南吉記念館に行ってきました。

のどかな田園風景がひろがる半田市郊外にある新美南吉記念館は、辺りの景観を損ねないように設計された半地下式の建物で、童話の村」「ごんぎつねの里」名にふさわしい建物でした。





記念館には、南吉自筆の原稿や手紙、生い立ちに関する資料や写真などが展示されており、南吉のひととなりを知ることができます。
なかでも、代用教員だった頃の「黒板」のエピソードが書かれた日記は、南吉の豊かな感受性と子供達に向ける優しいまなざしがストレートに伝わってきて、思わず涙がこぼれそうになりました。
なんだか、涙もろくなったのは歳のせいかしら(-_-;)

ところで、みなさんは「ごんぎつね」の話を憶えていますか?
誰しも、子供の頃、一度は手に取ったことのある絵本。
その中に「ごんぎつね」はありませんでしたか?
思い起せば小学校の教科書にも載っていたし、幼稚園の学芸会で演じられた方もいるのでは?
童話「ごんぎつね」
悲しい結末のこの物語を、今、改めて読み返してみると、子供の頃に感じた「悲しさ」とは違う、「せつない痛み」を感じます。

かすかに微笑みながら亡くなっていった「ごんぎつね」の悲哀。
まごころを尽くし、友を求めた「ごんぎつね」の孤独。
この世の不条理を知ってしまった大人には、せつなすぎて胸が痛みます(T_T)

川辺の野仏
それはまた、日本のアンデルセン」になる夢を持ちながら、こころざしなかばの29歳で、この世を去った新美南吉の人生と、どこかリンクするようにも思えます。

 今回、この場所を訪ねたのには、もう一つの目的がありました。
それは、200万本の彼岸花に出会うためです。
まるで、真っ赤な絨毯を敷いたように咲き競う彼岸花のポスターを見て以来、どうしても、その風景に会いに行きたくなりました。




彼岸花はとても美しい花ですが、毒を持つ花でもあります。
私は子供の頃、その赤くて美しい花を摘もうとして、母から「毒花だから、触ってはいけない」と諭されました。
以来、彼岸花は怖い花だという観念に支配されましたが、毒はあってもその美しい花姿に惹かれるのは、私ばかりではなかったようです。

南吉が17才の頃書いた「彼岸花」と題する詩があります。


彼岸花


彼岸花は毒草。
真っ赤な花が、寺院の
藪かげに咲いた。

あゝ私達は、竹で折ったものだ。
すぐへし折れるこの花を

私達はいやがったものだ、
おそろしいこの花を。

けれど彼岸花よ、
今その美しい事よ!
私は彼岸花を呼ぼう、
私達の幼かった私の思ひ出と。

彼岸花は、直咲いて直しほれる秋の花。



勇んで見に行った彼岸花でしたが、少々気の早い訪問だったようです。
ポスターで見たような満開には、まだまだ程遠い二分咲きでしたが、私のような「せっかちさん」がたくさん訪れていました(*^。^*)。



2011年9月28日水曜日

建物探訪(Ⅰ)古川為三郎記念館


古川為三郎記念館

天気のよい休日、街中散歩に出かけました。
訪れたのは、千種区池下界隈、古川為三郎記念館。

昭和の始めに建てられた数寄屋造りの日本家屋は、傾斜地に高床式で建てられた非常に凝った造りの邸宅です。

贅を凝らして造られていますが、豪奢を極めた大邸宅とは一味違う、粋人の隠居所の風情がしました。

中庭






庭園の樹木や置石、静かに流れる小川、小川にに架かる石橋、中庭の竹林、すべてが建物と調和し、それはまた、室内からの景観に重点をおかれた造りになっていることにも感心しました。

外観のみならず室内においては、各部屋それぞれに意匠が凝らされ、それは一見、見逃してしまいそうな細部に至るまでに行き届いてることに感嘆するばかりです。

中庭を臨む廊下


また、驚くべきは、日本家屋は薄暗いというイメージが覆されたことです。
どの部屋にも、日が差し込み、程よく明るい造りになっています。

何からなにまで計算し尽くされた調和と、少しばかり凝りすぎてはいないかと思うほどの意匠は、ただただ「すごい」としか表現しかできませんが、粋人の遊び心とはこういうことなのでしょうか(*_*)。

とにかく、私のような一般人には一生かかっても住むことなど出来ないのない御殿であることは間違いありません。




格調高い書院も、粋を凝らした客間も、端正な茶室も、これでもかと言わんばかりに凝っていて素晴らしいのですが、素晴らしいと思う反面、見ているうちに、なぜか違和感を感じてきたのです。

細やかな造作に目を奪われ、その場では気づきませんでしたが、そう感じたのには理由がありました。
なぜなら、この建物には台所や浴室といったあたりまえの生活空間がありませんでした。

葵の間



最初からなかったわけではないと思いますが、記念館として公開するにあたり必要がないので取り去ったのか、それとも見学できる場所以外にあったのかは分かりません。

しかし、その浮世離れした美しい建物から、今は完全に暮らしの気配が消されていました。
それを、残念に感じてしまうのは私だけでしょうか(・.・;)?



表門



記念館あるいは博物館として拝見すれば、それでよいのでしょうが、住居としての視点で見ると、なんだか寂しく感じられました。

住まいは生活の場。
こんなに素晴らしい邸宅であっても、住んでみたいとは思わなかった理由は、そこにあったのかもしれません。

どんなに歴史あるりっぱな邸宅であっても、私には生活感が感じられない御殿より、生活の匂いのする古民家のほうが馴染めるなぁと思いました。

まあ、そんあ私の思い入れなど、どうでもよいのですが、日本建築の粋を集めた古川為三郎記念館は、素晴らしい建物であることは間違いありません。
必見の価値は、充分にあります。

また、美しい庭園を眺めながら、お茶を頂くこともできます。
みなさんも時間があれば、ぜひ立ち寄られてはいかがですか?

 古川為三郎記念館は常時、開館しているわけではありませんが、近くにある「古川美術館」と共通入場券で見られますから、記念館が見学できる期間に行くといいですね。

2011年9月22日木曜日

お茶にしましょう


お抹茶

日本には、お茶の文化があるけれど、「お茶、しましょう」って、言われたら・・・ 
coffee or tea?になってしまいますよね。

友人が遊びに来ても、コーヒーか紅茶を出すようになったのは、いつ頃からかな(?_?)
緑茶大好きなのに気づいたら、ゆっくりと緑茶を味わう習慣がほとんどなくなっている自分に驚いたりして(@_@;)。

ロイヤルクラウンダービーのティーセット




特別コーヒー通でもないのにエスプレッソマシンを買ってみたり、イギリス製の紅茶や高価なボーンチャイナのカップを揃えたり、なんだかコーヒーや紅茶のほうが優雅で素敵だと勘違いしていた自分が見えてきました。
甚だしい勘違いですけど、こうなったのには茶道に対するコンプレックスがあったからでもあります。


20年前京都の骨董屋で買った京焼の煎茶器



実は私、お茶をいれるのがかなり下手なんです(-_-;)。
お抹茶は言うに及ばず、煎茶さえおいしくいれる事もできません。
OL時代のお茶当番で「今日のお茶まずい」とまで言われたんですから・・・情けない(=_=)。
お茶なんて、急須に葉っぱを入れて湯を注げばいいのだ、いう認識しかもっていなかったのです。



鍋島焼の煎茶器


私は静岡県生まれで、子供のころから母のいれてくれるおいしい掛川茶をいただいていました。
いつもいつも、母がおいしいお茶をいれてくれるので、ついぞ、いい大人になっても自分でお茶をいれることなく過ぎ、「お茶は、お母さんがいれてくれるもの」から「お茶は誰かがいれてくれるもの」になって、今は「お茶はペットボトル」になってしまいました。


常滑焼四代目山田常山(山田絵夢)さんの本朱泥急須





こんな歳になって、上手にお茶をいれられないと告白したところで興味ないでしょうが、もっと上手にお茶をいれることができる女だったら、夫に逃げられなかったかも・・なんちゃって、関係ないかぁ(^O^)/




こんな私でも、なぜか煎茶器は好きで、ついつい買ってしまいます。
「こんな急須や器でいれたら、きっと、おいしいだろうな」なんて思うのですが・・・。
眺めながらペットボトルのお茶をいただく私なのでした(-。-)y-゜゜゜


2011年9月20日火曜日

秋の味覚

名古屋は暑くて、まだまだ秋だという感じではありませんが、スーパーの食品売り場には、秋の味覚が並び始めました。

みなさん、秋の味覚といえば何を思い浮かべますか?
実りの秋は、やっぱり新米?

マツタケ


でも、秋の味覚は?と聞かれると、栗? 柿? う~んキノコかなぁ?やっぱり秋刀魚?
  
季節のものは、旬に食べなくちゃね!って事で、今日は奮発して「マツタケ」を買いましたよ。
年に一度の大盤振る舞い、ひとり贅沢しちゃいました!(^^)!。

まずは、なんといっても、「松茸御飯」です。



松茸御飯





我が家には、先祖代々「松茸御飯」のオキテがあります。
その1、「マツタケ」以外入れてはならない。
 よく、ニンジンとか、こんにゃくとか油揚げなんか入っていて「松茸御飯」と称するものを見かけるが、あれは「松茸御飯」にあらず!「松茸御飯」に入れていいのは、「マツタケ」のみ!
その2、「マツタケ」は、水洗いしては、ならない。
 「マツタケ」の風味を損なわないように、ペーパータオルで丁寧に拭きとるべし!
その3、「マツタケ」に、決して包丁は使わない。
 「マツタケ」は手で割き、決して、金物を使べからず!

秋刀魚
少し、大袈裟ですかね(^_^;)
でも、高価なものですからね、大事に頂かなくては(^O^)

そして、秋の味覚の二番手は、やっぱり秋刀魚。
油が乗って、美味しいですよね。
七輪で焼きたいところですが、残念ながらマンション暮らしでは、そうもいきません。
我が家は、IHレンジなので、IHのレンジヒーターで焼きましたが、結構上手に焼けましたよ。

 


さあ、「マツタケ定食」の出来上がり。
「焼きマツタケ」と「里芋の煮っころがし」「吸い物」付きで、どうですか?
美味しそうでしょ!(^^)!


栗きんとん








さて、デザートは?
恵那市の名物、川上屋さんの栗きんとんです。
地元、恵那栗100%の栗きんとんは、ほんのり甘くて美味しいですよ。

秋の味覚は、うれしいけれど、食欲の秋は危険です!!!







2011年9月13日火曜日

せとものまつり


露店に並ぶ黄瀬戸の器


やきものの里、瀬戸市では4月に「陶祖まつり」9月に「せとものまつり」といういう陶器市が行われます。

瀬戸市は、名古屋市の近郊で普段は静かな小都市ですが、この祭り時期は大変な人出で賑わいます。
「せとものまつり」は、毎年9月の第2土曜日、日曜日に開催されます。


瀬戸川沿いの露店




友人の陶芸家も参加しているので、私は、ほとんど毎年この「せとものまつり」に出かけます。
9月とはいえ残暑がきびしく、毎年汗だくですが、瀬戸川沿いに並ぶの窯元や小売店の露店を見て歩くのは、とても楽しいですよ。

「せともの大廉売市」の名のとおり、とにかく安いです。
普段は、なかなか高価で買えない窯元の器が、半値で買えちゃったりするのです。
ほんのちょっと焼きムラのある織部の皿や、セットはずれになってしまった黄瀬戸の器、よく見てもまったく二等品には見えないな志野の茶碗など、ゆっくり、じっくり見て歩けば、掘り出し物にも出会えます。

 
買い求めた織部の器





また、作陶された方や絵付けをされた方と直接お話しが出来たりもするので、いろいろ教えて頂くこともできます。
ちょっと高価な品でも、その品物が好きでどうしても欲しいと伝えれば、快くまけてくれます。
恥ずかしがらず、値段交渉するべし(^^)v。
買う買わないは別として、お店の人達とのやりとりを楽しみながら見て歩くのが、「せとものまつり」の醍醐味だと思います。

瀬戸蔵の招き猫


今回、私が買おうと狙いを定めていた陶器は、織部と黄瀬戸の器です。
何件か廻り、ゲットした品物は、上の写真のとおり。
 黄瀬戸の方は、なかなか好みの物と値段が合わなくて、今回は断念しました。
買うものを定めて出かけたので、今回は余分な物も買わずに済みました(^_^;)。
 
瀬戸焼そば

お昼には、瀬戸のB級グルメ「瀬戸焼きそば」を食べました。
「瀬戸焼きそば」なるものは、豚肉を茹でた煮汁としょうゆで味付けしたシンプルなやきそばです。
美味しいか美味しくないかは、好みの問題ですが、なぜか懐かしい味がします。
瀬戸へ行ったら、一度、御賞味ください。


来週は、岐阜県土岐市の織部ヒルズのオータムフェアに行きます。
今度こそ、黄瀬戸の器をゲットしてきます!(^^)!






2011年9月12日月曜日

中秋の名月


今日は、中秋の名月ですね。

私の住む東海地方は、天気も良く今日は美しい満月が見られそうですよ。
中秋の名月というと格式ばった感じがありますが、十五夜さんといえば、なんだか馴染み深い感じがしませんか?

縁側で、盃に月を浮かべて月見酒なんてどうですか(^o^)
すすきを飾り、里いもを供え、月を愛でる。
う~ん、粋ですよね。

十五夜は、「芋名月」ともいわれます。
「芋名月」に対して「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれるのが十三夜です。
今年は、10月9日だそうです。



徳川園裏門

お月見は、十五夜と十三夜の2回すると縁起が良いそうです。
ところで、「十六夜」ってご存知?
「いざよい」って読むのですよ。
満月の少し前の月をそう称して、その月も愛でる。
これまた、粋じゃないですか。
三日月も好し、半月もまた好し、要するに月は、いつみても好しって事でしょうかね。


和舟の月見飾り

一日早いのですが昨日私は、徳川園で行われた観月会に行ってきました。
箏の演奏や月見団子の配布などの催しもあり、結構な人出です。
徳川園は、名古屋市東区にある池泉回遊式の日本庭園で、元尾張徳川家の邸宅があったそうです。
敷地内に徳川美術館があり、源氏物語絵巻や初音(徳川のお姫様)の調度など、国宝9件、重要文化財59件を所蔵していて、徳川の栄光を今に伝えています。
 
 
茶室瑞龍亭



ところで、その観月会ですが・・・(-_-;)行くには行ったのです。
でも、月の写真がありません、観月会なのに・・・。
実は用事ができて、月が出るまで徳川園に居る事が出来きませんでした。
徳川園の池には、月見飾りが施された和舟が浮かび、それはもう雅な風景で、池に映る月をぜひとも観たかったです(-_-;) 残念。



徳川園の萩


それでも、昼間の徳川園もとても美しかったですよ。
池を囲む回遊式庭園には、茶室や滝もあり、季節の花々が咲いていました。

徳川園といえば、牡丹や花菖蒲が有名だそうですが、秋の庭もなかなかですよ。

秋を代表する花と言えば、やはり萩の花。

華やかではありませんが、小花がいっぱい咲く、こんもりとした花姿が日本的 で大好きな花です。
徳川園のすすき
お月見と言えば、すすきが定番。
さすが、みごとなすすきです。

 では、最後に百人一首から、秋の月の歌を一首紹介しましょう。
「月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」
大江千里(おおえのちさと)の歌です。
「過ぎた夏の恋よ、月を見てもあなたを想うのです、あの月のように私もひとりぼっちです」と、いったような内容です。

百人一首には、月の歌がたくさんあるけれど、必ずしも満月を歌っものだけではありません。
平安の人たちにとって、満月ばかりが観賞の対象ではなく、月の満ち欠けに恋心を映し、恋人に歌を送ったのです。
いいですなぁ、電話もメールもないゆったりとした時代、恋の歌でも送られてみたいもんです。

2011年9月6日火曜日

私の好きなもの(Ⅳ) 組子欄間


組子欄間(縦格子に桐麻柄)


欄間って、ご存知ですか?

欄間は普通、和室と和室、あるいは和室と廊下を仕切る、ふすま又は障子などの建具の上、つまり、天井との間の開口部などにはめ込む装飾建具です。
最近は、和風建築の家も減り、あまり欄間のある邸宅を見る事もなくなりました。
新築される家の3割は、もはや和室さえないそうです。
和風建築における、日本の伝統工芸が少しずつ消えていくのは残念です(-_-;)。
  


 
組子欄間(菱に麻の柄)

私は、古い日本家屋の解体現場に出会うと、この家の欄間はどうなっちゃったのか気になって仕方ありません。
なぜなら、以前にもお話したように、建具や欄間が大好きだからです。

現在は骨董ブームにより、解体前に業者が買い取っていくと聞きましたが、まだまだ無造作に取り壊されてしまう事が多いのだそうです。
私には宝物に見えても、長年見慣れてきた人たちにとっては、古臭くて必要のないモノなのかもしれませんね(=_=)。

人の価値観は、それぞれだから仕方がない事ですけど・・・。
 
本来、欄間は通風や採光のため建具です。
残念ながら、我が家には欄間本来の用途として、取り付ける場所はありません。
しかし、好きな物は、なんとしても身近に置いて愛でるのが私の主義。


右写真の欄間と一対
私流インテリアとして、壁の装飾や扉に嵌め込んだりして部屋に馴染ませ使用しています。
なんとも味気のない白いクロス張の壁でも、欄間が和の風情を醸し出してくれます。 

欄間にもいろいろありますが、寺院や格式高いお屋敷の欄間は立派な彫刻を施したものが多く、重厚すぎて我が家には似合いません。
それに比べ、杉板などに透かし彫を施した欄間は、民家にも多く簡素な感じが素敵です。


書院用組子欄間
(建具にはめ込んでます)


その他にも竹細工を施したものや普通の障子欄間もありますが、私が愛して止まない欄間は組子欄間です。
  
組子欄間は、組子細工を施した欄間のことです。
組子細工とは、釘などを使わずに細かく割った木材を組み合わせ、様々な模様を組み立てる伝統的な技法です。
組み合わせの妙で、いく通りもの美しい幾何学模様が見られます。
格子や幾何学模様が大好きな私でありますから、これはもうコレクションの対象品にならざるを得ません(^_^;)。

私の持っている欄間は、どれもそんなに古いものではありません。
どこかの家で使用されていた物もありますが、ほとんどが昭和の時代のものです。
いわゆるデットストックというものもあって、どこかの建具屋さんか製造元の売れ残り商品だったものもあります。
そういうものは、買い求めた時、まだ綺麗な白木で枠(わく)にも入っていません。

組子の衝立
インテリアとして、壁の装飾にするには枠のない方が軽くて扱いやすく、頑丈に打ちつけなくても落ちてくる心配がなく安心です。
白木のままでも良いのですが、落ち着いた風合いを出したかったので、天気の良い日ベランダで欄間に塗装をしました。
本来なら、柿渋を重ね塗りをすべきなのでしょうが、ホームセンターに柿渋が売っていなかったので、手っ取り早くオイルステインで、塗装しました。
少々、ムラ塗りですが、それなりの味がでているでしょ。

自分で工夫しながら創るインテリアって、愉しいですよ(^_^)/